英語のライフが人生だったり、生活だったりするのは、近代日本語と近代英語の語彙のずれなのだが
(一対一の対応というのは、如何な優秀な言語学者にも不可能だしね)

ただ、人生と生活は時々同じ意味になるものだ

インターネット上では、「生活」も「人生」も見えてはこない。というより、そうした臭いをネットで放ちはじめること自体が敬遠されるのである。

2chだのなんだのでも、「生活」というのは腫れ物扱いである。

ただ苦痛の種から少しでも遠ざかっていたいだけなのか、あるいは無防備な部分を不特定多数の他者に曝け出すのが怖いのか

ある意味で、「生活」というのはプライバシーと同義語でもあるようだ。
それにまた
ありのままの、剥き出しの自己というものは、ネット上の演劇を台無しにする。
陶酔状態に水を掛ける。


私は


陶酔し感情に溺れた誰かの文を見かけると、彼(彼女)の剥き出しの自己に、はっきりと「生活、実像」を嗅ぎ取って、却って興醒めしてしまう。
(過去の自分が書いた文章でも同じだが。)

ネットで会話を交わす人々の多くは、非日常を求めている。だから怒りも、悲しみも、雑多な生活から逃れたレベルで膨張して破滅するまで増殖を続けねばならないのだ。
こうした願望がある限り、どんなにドライな接し方をしても、必ず最後にはネット中毒を起すだろう。

精神の強度や、端末への接触に対する物理的な制限によって個人差はあるだろうが、老若男女を問わず終局は不可避である


もし貴方がじりじりと心を蝕む他者の情動に気付かないのなら、掲示板やメールの言葉をプリントアウトして、少しオフラインで熟読してみるといい

軽い気持ちで舐めていただけの、甘い毒が、ひどくいやな臭いをさせているのに気付くはずだ

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