社交的殺人の根暗な殺人
2002年10月8日 ヒキコモリの青年が、次々にコドモを殺す
のは陰湿かつ猟奇的で、
チンピラの若者達が次々にホームレスを殺す
のは平凡かつ健康的だ、
というのが世間の常識である。
漫画でも、小説でも、テレビでも新聞でも。
人々のイメージの中で、概ね猟奇殺人犯は大抵ヒキコモリで、脇役を勤めるチンピラよりも危険な存在である。
チンピラの猟奇殺人なんて想像デキナイし?
(体育マットで簀巻き&逆立ちさせて、鬱血死するまで放置とかも結構猟奇的だとは思うけどね)
どうしてそうなのか
仮定として
1.社会に属さず孤立した人間は信用できないから
2.マスコミの作った流行(モード)だから
3.インドア派はアウトドア派より陰湿だから
の三つを上げてみる
まず1番の仮定。
チンピラは群れる。狭いグループ内であっても、とても社交的だ。其だけに周りはある種の安心感を持つ。
ヒキコモリは群れない。例えネットで傷を舐め合えても、現実の人間関係を全く築けない。(築けたらチンピラかオタクに昇格である)
故に
チンピラの殺人は、社会の内部で仕方なく起る「社会現象」である。
ヒキコモリの殺人は、社会にとって普段は己と隔絶している「外敵からの攻撃」に近い。
社会全体の意識として、既に自己の一部であるチンピラより、自己と関係性を持とうとしないヒキコモリという異物を警戒するのは当然である。お解りだろうか。
では2番の仮定に移る。
当然ながらマスコミが最も好んで生贄に選ぶのはそうした外敵である。不法入国者、新興宗教の信者、孤独な自殺者、潜入中のテロリスト、謎の秘密工作員。叩けば叩くほど社会の内部から喜ばれる。
だが、社会にとって外敵とは入ってくるだけとも限らない、内部から外へはみ出した隣人もまた外敵になる。
宝籤を当てても芸能人と結婚しても借金で破産してもいい、「普通」の枠を外れ共有できない要素さえ持っていればもうそいつは外敵である。
そう、チンピラが暴力を振るい、時に殺人を犯すのは社会にとって「普通」のことだが、
普通のご家庭の子供だったヒキコモリが殺人を犯すのは「普通」から外れる行為なのだ。
そのギャップがマスコミにとって格好の題材になる(聊か飽きられては来たが)
3番の仮定を考えてみると
これは完全に間違っている。ヒキコモリにしろチンピラにしろ殺人の手口というものは別に明るくも暗くもない。
コドモを攫うにしろ、親を刺すにしろ、するのがヒキコモリでなければ「普通」の犯罪だ。
むしろヒキコモリが殺人の準備として包丁を隠し持ったり、武器関連の雑誌を買ってニヤニヤしだせば、その時点で彼はかなり「普通」の存在、犯罪者という社会での地位を獲得していく。
漫画家や小説家がヒキコモリを犯罪者風に仕立てるのは、彼等に向けた社会復帰の呼び掛けであり、ある種の救いなのだ。(ありがたくて涙が出る)
もしかすると社会もまた、自己の一部なのか、異物なのか、曖昧な境界に立つヒキコモリを、そんな風に解り易く整理してしまいたいのかもしれない
のは陰湿かつ猟奇的で、
チンピラの若者達が次々にホームレスを殺す
のは平凡かつ健康的だ、
というのが世間の常識である。
漫画でも、小説でも、テレビでも新聞でも。
人々のイメージの中で、概ね猟奇殺人犯は大抵ヒキコモリで、脇役を勤めるチンピラよりも危険な存在である。
チンピラの猟奇殺人なんて想像デキナイし?
(体育マットで簀巻き&逆立ちさせて、鬱血死するまで放置とかも結構猟奇的だとは思うけどね)
どうしてそうなのか
仮定として
1.社会に属さず孤立した人間は信用できないから
2.マスコミの作った流行(モード)だから
3.インドア派はアウトドア派より陰湿だから
の三つを上げてみる
まず1番の仮定。
チンピラは群れる。狭いグループ内であっても、とても社交的だ。其だけに周りはある種の安心感を持つ。
ヒキコモリは群れない。例えネットで傷を舐め合えても、現実の人間関係を全く築けない。(築けたらチンピラかオタクに昇格である)
故に
チンピラの殺人は、社会の内部で仕方なく起る「社会現象」である。
ヒキコモリの殺人は、社会にとって普段は己と隔絶している「外敵からの攻撃」に近い。
社会全体の意識として、既に自己の一部であるチンピラより、自己と関係性を持とうとしないヒキコモリという異物を警戒するのは当然である。お解りだろうか。
では2番の仮定に移る。
当然ながらマスコミが最も好んで生贄に選ぶのはそうした外敵である。不法入国者、新興宗教の信者、孤独な自殺者、潜入中のテロリスト、謎の秘密工作員。叩けば叩くほど社会の内部から喜ばれる。
だが、社会にとって外敵とは入ってくるだけとも限らない、内部から外へはみ出した隣人もまた外敵になる。
宝籤を当てても芸能人と結婚しても借金で破産してもいい、「普通」の枠を外れ共有できない要素さえ持っていればもうそいつは外敵である。
そう、チンピラが暴力を振るい、時に殺人を犯すのは社会にとって「普通」のことだが、
普通のご家庭の子供だったヒキコモリが殺人を犯すのは「普通」から外れる行為なのだ。
そのギャップがマスコミにとって格好の題材になる(聊か飽きられては来たが)
3番の仮定を考えてみると
これは完全に間違っている。ヒキコモリにしろチンピラにしろ殺人の手口というものは別に明るくも暗くもない。
コドモを攫うにしろ、親を刺すにしろ、するのがヒキコモリでなければ「普通」の犯罪だ。
むしろヒキコモリが殺人の準備として包丁を隠し持ったり、武器関連の雑誌を買ってニヤニヤしだせば、その時点で彼はかなり「普通」の存在、犯罪者という社会での地位を獲得していく。
漫画家や小説家がヒキコモリを犯罪者風に仕立てるのは、彼等に向けた社会復帰の呼び掛けであり、ある種の救いなのだ。(ありがたくて涙が出る)
もしかすると社会もまた、自己の一部なのか、異物なのか、曖昧な境界に立つヒキコモリを、そんな風に解り易く整理してしまいたいのかもしれない
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