ここへダラダラ物を書くのは、趣味の小説が行詰まった時、で浮ぶ考えも大抵小説の所から発している…。遊びに詰まるなんて困ったものだ。
 
 …さて、『仕切り屋』というのがいる。人生の意義を、人と人の連帯行動に見出し、それを高めて行こうとする類のアレである。
 中高時代に多く見かけたのは、学園祭の実行委員とか、小さな文化系クラブのキャプテンとか。

 彼等を観察していると、機関車の石炭炉宜しき勢いで、激しく人と人との間をぐるぐる回って活動しているのが見えるが、何、あれは別に強い義務感からでなくて、単に好きでやっているのである。
 
 というのも、こういうのに出くわすと、世間にごろごろしている無気力な『かまって君』達は、頼まれもしないのにちょっかいを掛けたくなる…で、他の魅力に乏しくても、彼や彼女の行動が、産む熱や光は非常に多くの人を惹き付ける。
 当の『仕切り屋』諸氏もそれを承知しているから、尚活動に心血を注ぐのだ。

 そもそも、物質的にも精神的にも充実していられるのは、企画を立て、人を纏め、動かしている間だけという彼らにとって、隠居や引退といった言葉は誰からも相手にされなくなるという不安を産むだけである。

 日本の政治には強いリーダーシップが必要、なんて言う時はその手の人間が要求されている訳だ。

 ところで漫画や小説中で

「大衆は愚鈍だ、自らは何もせず指導者を待っているだけだ。しかも不平を言う。」

 等と悪の大ボスが言うシーンがあるが、ああいう手合だって、やっぱり支配に答えてくれる『大衆』がいないと淋しくて死んじゃう兎さんなのである。

 だが、どんな上手い『仕切り屋』でも、彼等だけでは満足に働くことは出来ない。大切なのは先述の『かまって君』達である。これは『大衆』と同じように見えるが実はそうではない。
 
 (以下次回)

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